友達を作ろう運動
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友達が沢山いれば、この世に未練が残り、自殺ができない。
それが――政府の出した結論であった。
2030年を迎え、日本は戦後最悪と言っても過言ではない経済状況にあった。1990年代にバブルが崩壊し、2000年代の社会科の教科書には「空白の10年」という言葉が書き記された。しかし、それでもゆるやかに経済は回復してゆくのではないかという淡い期待があったが、アメリカを発端とするリーマンショック、東日本大震災、といった危機を経て、結局2010年代の教科書には「空白の20年」と書かれた。日本における空白の期間は、無能な政治家たちの手腕によってずるずると引き延ばされ、今や「空白の40年」である。
時代によって流行というものは変遷してゆくものであるが、30年代における一大ブームメントは自殺であった。特に首吊り自殺がホットである。
政府はこれを由々しき問題とみなした。
そこで役人どもは考えた。どうすれば自殺が減るか。
遺される者たちを思いやる心があれば、とうてい自殺などという愚かな選択には至らないだろう。事実、家庭を持っている人間が自殺をする割合は、独り身の人間が自殺をする割合よりぐっと少ない。そこで、政府は「友達を作ろう運動」というものを始めることにした。友達がたくさんいれば、自殺しようなんて思わないはずだ。
政府は友達登録制度を始めた。
インターネット上に設置された国運営の友達交流サイトで、友達申請をして、許可されれば、双方は友達として国から認知されるのである。
ちょうど2030年には昔でいうところの学校というものはなくなっていた。すべてネット上のオンライン教育になっていた。企業の仕事も、大半がネット上で行われる。お互いに顔を合わせることなど、異性がセックスをするときくらいなもので、数十年前と比べると、他者との関わりなど相当に薄くなっていたのだ。だから、国が認知してくれる、友達登録というものは、友情を確固たるするものとして広く受け入れられた。
人々に友達が急増していった。なにせネットである。ちょっとうろつくだけで、何万人という人々と交流を深められるのだ。友達の数こそステータス、という潮流が起こり、次から次へと友達申請がなされていった。
悪趣味なプログラマーが、自動友達申請プログラムを開発し、フリーソフトとして公開したことで、いっそう友達の数は増えていくことになった。数十年前に存在していたSNSでも、意味もなく「友達」の数は増えていくものであったが、他者との接触が希薄なこの時代においては、そんな友達でも、実際の友達と同じように意義深いものであった。
しかし、流石に日本一億の人口がすべて友達ネットワークによって緊密に繋がりあってくると、国民も退屈してきた。国によって認知される友達などというものに、何の意味があるのだろうか。
次第に、旧式のチャットや掲示板などというものがネット上で流行した。実際のコミュニケーションを通して、真に頼れる友人のみが、本当の友達なのだ。
こうした流れを受けて、「頼友」という言葉が生まれた。頼れる友達、という意味と、源頼朝、という歴史上の人物の名前をかけたものである。無数にいる「友達」は、ただの他人であり、「頼友」にこそ価値があるのだとされた。頼友の価値の向上に伴って、友達の価値は急速に下がっていった。さしずめそれは、デフレを起こした一次大戦後ドイツのマルク紙幣が、レンテンマルク紙幣と取って代わるのと同じような立ち代りであった。今や頼友こそがすべてであり、友達などというものは空気以下のものであった。友達の価値が下がることで、「友達を作ろう運動」により減少傾向にあった自殺率が急激に向上していくのであった。
政府はこれを、やはり由々しき問題とみなした。そこで政府は、今度こそ自殺率の安定した減少を目指すため、「友達を作ろう運動」に取って代わる、新しい運動を始めることにしたのであった。その名も――「頼友を作ろう運動」である。